和歌山で江戸時代から造りつづけられている蒲鉾
  • たな梅の歴史
    弊店は幕末に現在地にて創業し、当初の屋号は「店梅」と漢字表記をしていました。当時の屋号は御店(おたな)を「店」と表し、「店」の後には人名が入り、「店梅」は「梅吉の店」という意味で、明治時代の当主の名前でした。また、田辺市には蒲鉾屋以外にも「店〇〇」という屋号が多くありました。近年社名は「みせうめ」と誤って読まれないよう、「店」を読みやすく、ひらがなで「たな梅」と表記しています。
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たな梅の歴史

引き札について

「引き札」とは明治時代のチラシ広告で、業種を問わず(京都の呉服屋さんとか)全国で作成されており、鯛や亀などおめでたい柄が特徴です。魚の身をくずして作る蒲鉾は「久ずし」(くずし)と呼ばれており、明治頃は塩干もの全般に取り扱っていましたので「鰹節」「鰹酒盗」なども掲載されています。現在はこの特徴的な引き札の図柄で紙袋を作っています。

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